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マインドコントロールと親鸞会の真実

マインドコントロールと親鸞会の真実

マインドコントロール論争は、やはり不毛

 結局、宗教でマインドコントロールがどうの、というのは、それ自体、ほとんど不毛な議論になるのです。
 一つの教義を布教すること自体が、マインドコントロールと言えば、いえるからです。いや、もっと広く言ってしまえば、すべての宗教、思想、教育、広告、セールス、相手に何かを伝えようとする人間の行為そのものが、他者に与えるマインドコントロールになるからです。


 逆に言えば、人間の思っていること、信じていることは、親や友だちと話し合った、教師から教えられた、本で読んだ、テレビや映画、ネットを見たなどなど、他者からの影響でないものは一つもありません。

 そこでの、強制や自由意志の問題は、結局はケースバイケース。
要するに、程度の問題です。
 たとえ強制でも、国家によるものであればマインドコントロールと言わずに、教育といわれるでしょう。

 だから、学者さんたちが扱うマインドコントロールというのは、オウムのような、テロ、拉致、監禁、などの既成秩序を破壊する行為、反社会的行為があった場合に、その組織の手法をそう呼んでいるだけなのです。そのレベルのことしか扱えないからです。当然ながら、親鸞会には、そうした反社会的な行為はまったくありません。
 逆に、社会全体の秩序にまでなった巨大なマインドコントロールに対しては、彼らは手も足も出せません。

 イスラム社会に行って、ムハンマドの風刺画を掲げ
「みなさん、マインドコントロールから目覚めてください」
と叫んでご覧なさい。たちどころに命を失うでしょう。


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マインドコントロールとは何か?「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」について