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マインドコントロールと親鸞会の真実

マインドコントロールと親鸞会の真実

マインドコントロールと無関係な信心

 マインドコントロール論争がその程度のものだとすれば、では、不毛でない本質的な議論とは何でしょうか。
 この世に「真実」というものがあるのなら、マインドコントロールと呼ばれるものも含め、それら人為的なもの、人間の都合などと一切関係の無いものであるはずです。そんな「真実」が、果たしてこの世に存在するのか、どうか。

 このことです。
 これこそが、多くの宗教を、単なる物語としての宗教か、真実の宗教かを決する最も重要な点です。果たして人為的に作られた人間の思考、善悪、都合などを全く超越した「真実」というものがあるのか、ないのか。
 あるとしたら、どの宗教がその「真実」を説いているのか。
 この1点によって宗教の正邪は決します。


 そして、親鸞聖人は、「ある」と断言されています。
「人間の智恵や学問、経験などと、まったく無関係な信心がある」とおっしゃっているのです。
 それを明らかにされたのが、「信心同異の諍論」と言われる論争です。

 親鸞聖人34才、法然上人の弟子であった時、高弟といわれていた聖信房・勢観房・念仏房を相手に、激しい論争をなされたことが伝えられています。
「お師匠さまの法然上人の信心と、我々の信心が同じになれるはずがない。異なって当然だろう。」と言う三人の主張を、「親鸞は、法然上人と同じ信心になった」と真っ向から否定されたのです。

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マインドコントロールとは何か?「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」について