×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

マインドコントロールと親鸞会の真実

マインドコントロールと親鸞会の真実

マインドコントロールと無関係な信心(2/2)

法然上人の判決

 以下はその時、法然上人が下された判決のお言葉です。

「信心の、かわると申すは、自力の信にとりての事なり。すなわち、智慧各別なるが故に信また各別なり。
 他力の信心は、善悪の凡夫、ともに仏の方よりたまわる信心なれば、源空が信心も善信房の信心も更にかわるべからず。ただ一なり。我が賢くて信ずるにあらず。
 信心の、かわりおうておわしまさん人々は、我が参らん浄土へは、よも参りたまわじ。よくよく心得らるべき事なり」(『御伝鈔』)

「信心が私と同一でないというのは、自力の信心であるからだ。自力の信心は、智恵や学問、経験などで信じ固めたものだから、これらはひとりひとり異なる。自力の信心は毛頭、同一にはなり得ないのだ。

 それに対して他力の信心は、智恵や才能、学問や経験、善人悪人などとはまったく関係なく、弥陀より賜る信心である。
 慈悲平等の仏から賜った信心に、相違があろうはずがない。法然(源空)の信心も親鸞(善信房)の信心も、ともに他力の信心、阿弥陀仏からたまわった信心だから、まったく変わらない。同じである。

 この法然の信心は、智恵や学問などとは関係のない他力の信心である。
 私の信心と異なる自力の信心の人は、法然の参る浄土へは往けないであろう。"自力の信心"と"他力の信心"の違いを、よくよく心得ていなければならないよ」

 マインドコントロールなどとはまったく無縁な「他力の信心」、万人共通の驚くべき「信心」の現存を、教えられているお言葉です。
 そしてこの真実の信心を獲得することこそが、私たちの人生の目的なのです。

 一般に「信心」と言われているのは、智恵や学問、経験で作り上げる
「自力の信心」ですから、みんなが同一になれる信心などだれも知りません。想像もできないことなのです。良識を自負する人ほど、すべての人に共通の信心などあるはずがないと考えるのは、決しておかしくありません。
 しかし、親鸞聖人が明らかにされた「信心」は、「まさに万人共通の信心」なのです。これを「他力の信心」といいます。
「他力の信心」が語られるとき、「獲得する」とか「得た」などと表現されるのは、自分の心で信ずる信心ではなく、阿弥陀仏から直接たまわる信心だからです。

 こんな信心は、弥陀の救い以外には、絶対にありえません。
 親鸞聖人が、弥陀の誓願を「難思の弘誓」(人間の想像を超えた、ひろい誓い)と仰言ったのも、当然のことなのです。

親鸞会の目的 >>次のページ

前のページ

10

マインドコントロールと親鸞会の真実

マインドコントロールとは何か?「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」について