マインドコントロールと親鸞会の真実

マインドコントロールと親鸞会の真実

真実の体験(3)

 「末灯鈔」という本には、このようにもおっしゃっています。

「信心の定まると申すは、摂取にあずかる時にて候なり。その後は、正定聚の位にて、まことに浄土へ生まるるまでは候べし」(末灯鈔)

「”信心が定まる”というのは、摂取不捨の幸福を獲得したときのことである。それからは、必ず浄土へ往けるという大安心・大満足の正定聚といわれる、無上の幸せ者になり、それは死ぬまで変わらないのである」


 こんな言葉もあります。

「この身は、今は歳極まりて候えば、定めて先立ちて、往生し候わんずれば、浄土にて必ず、必ず待ちまいらせ候べし」(末灯鈔)

「親鸞、いよいよ今生の終わりに近づいた。必ず浄土へ往って待っていようぞ。間違いなく来なさいよ。」

確信に満ちた、親鸞聖人のこれらのお言葉を本願寺は否定するのでしょうか。まったく教えようとしていないのは、ご存じないからでしょうか。それとも認めていないからでしょうか。
あるいは、「親鸞さまは特別なお方」と雲の上に放り投げているのでしょうか。

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マインドコントロールとは何か?「親鸞会で教えるマインドコントロールとは無関係な真実」について